Subscribed unsubscribe Subscribe Subscribe

no.2 「この世界の片隅に」(2016)

いわゆる1945年以降の戦後生まれにとって、あの戦争が結局何をもたらしたのかを問うこと、当時そこに漂っていた空気を感じることは難しい。歴史という長いスパンでみればほんの70年ほど前の出来事ではあっても、人間の一生に換算すると、あまりにも時間が経ちすぎてしまった。
「戦争は良くないな」と、誰もが言う。生存者の証言、悲惨さを物語る数々の遺品、建築物、語り継ぐための小説、映画、漫画を通して、私たちはそのように学んだからだ。「学ぶ」という言い回しに多少の違和感を感じたとしても、そう表現するしかないだろう。私たちはそれを経験していないし、見ていない。自分でそう考えたのではなく、「良くなかった」という答えがすでに出されていた。

あの戦争はあまりにもインパクトの大きい終わり方をして、その時代は現代からすればあまりも非日常的だった。当時を生きた人々と私たちとの間にあるはずの、共有すべき感覚を語るよりもまず先に、戦争が人間の生活にもたらした様々な悲劇ばかりを提示し、大概の結論は「戦争はよくないな」、「今は恵まれている」に至り、それは良くも悪くも、あの時代をフィクションたらしめている。しかし、そんなジレンマから解放してくれたのが、映画「この世界の片隅に」(2016)だ。
戦後、現代。コミュニティは細分化し、私たちは選択の権利を得たことで、ある程度の自由を手にし、その一方で居場所をなくしてしまった。居場所はどこにあるのか。それはあなたを必要としてくれる人のかたわらだ。もしも最終的にそこへ着地して物語を終えたとするならば、本作はまさに、現代を生きる私たちの探し求めているものが、70年前からずっと変わっていないのだということに気付かせてくれたということになる。

確かにあの時代は悲しいことが多かった。物資は減り、食料も満足に得られず、大切な人が奪われた。しかしそれらを一概に現代の幸せと同じ尺度で比べることは間違えている。その時代にはその時代特有の、悲しいことは起きているし、思いもよらない悲劇で人は死ぬ。恵まれた時代に感謝しなさいと言われても、感謝できない自分がいる。そこまで私たちは恵まれていて、幸せだろうか。あの時代を生きていた人のすべてが、現代を生きる私たちよりもずっと不幸であったといえるだろうか。あの時代と、現代とをそうやって比べてしまうことで、隔たりはますます広がる。
主人公、すずに降りかかった悲劇は、確かに戦争によるものではあるけれど、結果としての事象は現代でもあり得ることだ。すずが感じた居場所のないやるせなさも、私たちは感じたことがあるはずだ。その普遍的な感覚は、戦争のあるなしに関係なく共有できることだ。

諦めるのは良くないとわかっていても、結局のところ個人のあずかり知らぬところで国家は良くも悪くもどちらかに舵を切る。所詮個人は国の決めた方針に従うしかない。おそらくそれは当時も現代も、あまり変わらないのではないだろうか。いつの間にか戦争が始まっていて、それがいつしか日常の一部になった。これを「戦争が日常になることの恐ろしさ」と片付けてしまうのは簡単なことかもしれないが、私たちの時代も、いつか歴史の一部になったときに、随分この時代は非日常的なことが多かったと評される可能性を孕んでいる。現に今、世界でありえないことが数え切れないほど起きているにもかかわらず、私たちは自分の日々を生きるのに精一杯なのだから。すずが日常をできるだけ明るく、楽しく生きていたのと同じように。

Remove all ads

【スポンサーリンク】