Subscribed unsubscribe Subscribe Subscribe

no.4 「沈黙 -サイレンス-」(2017)

 "silence"は「沈黙、無言」を意味する単語だが、「静寂」や「静けさ」とも訳される。
 遠藤周作氏による歴史小説「沈黙」をマーティン・スコセッシ監督が映画化したものが「沈黙 -サイレンス-」(2017)だが、サブタイトルの「サイレンス」は主人公・ロドリゴが何度も問い続けるイエスの「沈黙」であり、日の目を隠れながらひっそりと祈るキリシタンたちの「静けさ」をも意味するのではないだろうか。

冒頭からエンドロールに至るまで、様々な環境音が聞こえてくるのが印象的だが、それは本作のテーマとする神の存在として、キリスト教のイエス、それから森羅万象に神の存在を認める古代日本の概念を対比しているかのように思える。虫の鳴き声や葉のざわめき、雨音や波の音は終始聞こえているのにもかかわらず、それらはやたら周囲の静寂を強調する。


 ロドリゴは踏み絵を強いられるキリシタンに「踏んでいい」と、さらには拷問を受ける彼らに「棄教しろ」とさえ言った。そこには、決して棄教せず命懸けで信仰を守り通そうとする彼らと、同じく自らも棄教しないロドリゴの明確な矛盾がある。

そんな彼に対して、通辞と井上は彼が必ず「転ぶ」と予見する。残酷な仕打ちを受けるキリシタンたちを救えるのはイエスではなく、今そこに存在するロドリゴなのだ。彼さえ棄教すれば、彼らは救われる。しかし彼は、自分を処せと言うばかりで、棄教することを踏み留まる。

 

image
 

(c) 2016 FM Films, LLC.  All Rights Reserved.

 無意識に、私たちは彼が最終的には「転ぶ」だろう、そうするしかないのだと思いながら次の展開を待っている。彼は心優しく、そうして殉教するほどの強さを持たない人間だからだ。キチジローは自分を弱い人間だと認めている。彼がロドリゴの立場ならば恐らくすぐに棄教してしまうだろう。なぜなら彼は自分の家族や友人を守るために、何よりも自分が生き延びるためにそうしてきたからだ。彼は自分の信仰を、イエスを裏切り、延命をはかる。

本作は宗教や信仰を主軸としながら、あらゆる異文化、さらには思想の異なる人間同士の間に横たわる深い断絶をまざまざと見せつけてくる。同じ宗教を信仰しているはずのロドリゴとキリシタンとの間に生じる小さなズレが致命的な何かであるということを、ロドリゴの微かな表情から読み取ることができる。彼らを排除しようとする役人たちの眼差しは、彼らが互いに歩み寄らず、理解しあうこともないのだということを象徴している。

古来から日本は西洋の様々な文化を取り入れ、それを自分たちでアレンジして独自の文化にするという能力に長けていた。それは現代にも引き継がれているだろう。フェレイラ神父は言う、「この国は沼地だ」と。植えた苗がいつのまにか違う何かに変容してしまうのだ。

棄教した神父たちはいつしかイエスと同じく沈黙した。その日から生涯、本当に信仰を捨ててしまったのか、彼らの心の内は分からない。


——————————————————
■原題・英題
Silence

■クレジット
原作:遠藤周作「沈黙」(新潮文庫刊)
監督:マーティン・スコセッシ
脚本:ジェイ・コックス  撮影:ロドリゴ・プリエト 美術:ダンテ・フェレッティ 編集:セルマ・スクーンメイカー
出演:アンドリュー・ガーフィールド リーアム・ニーソン アダム・ドライバー 窪塚洋介 浅野忠信 イッセー尾形 
塚本晋也 小松菜奈 加瀬亮 笈田ヨシ 
配給:KADOKAWA

■公式サイト

http://chinmoku.jp/

■作品紹介
17世紀江戸初期、激しいキリシタン弾圧の中で棄教したとされる師の真実を確かめるため、ポルトガルから日本にたどり着いた若き司祭ロドリゴ。彼の目に映ったのは想像を絶する日本だった。信仰を貫くか、棄教し信者達の命を救うか—究極の選択を迫られる。

原作と出会ってから28年。アカデミー賞受賞の巨匠マーティン・スコセッシが激動の現代に「人間にとって本当に大切なものとは何か」を描き出す壮絶なドラマ。

Remove all ads

【スポンサーリンク】