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no.6 「恋愛奇譚集」(2017)

 「私は恋愛を信じない。 だって恋愛している人は、どこか馬鹿に見えるから」
主人公、ユーウェンはそう語る。その通りだ。映画「恋愛奇譚集」(2017)には、馬鹿な人が何人も出てきて、しかも死者までも恋をしている。

酒造で働く涼太やそこに居合わせる従業員たちが、納豆がどうのと言いながら、他愛のない会話をする。酒造で働く彼らにとって、納豆菌は大敵だ。そうと分かっていながら(あるいは事故的に)揃いもそろって納豆菌に接触してしまう彼らの馬鹿馬鹿しさの背景には、福島県が納豆消費量全国1位であることがもしかしたら関係しているのかもしれない。



 雨が、もう数ヶ月降らないという。人は太陽の日差しを乞いながらも、あまりに日照りが続くと雨を乞う。そうして、事が起きたときに、太陽のせいにしたりもするし、恋愛をしている人間と同じように身勝手であり、天災のように不条理でもある。

そう、この映画ではカミュの「異邦人」が引用される。天栄村に住み続ける者、他の国から、あるいは他の土地から訪れた人、戻ってきた人、それから魂だけが留まっている人。彼らはそれぞれに他人と共有しがたい孤独と閉塞感を抱きながら、その小さな村に集まっている。

彩子は夜な夜な自分の身体を掻きむしっている。背中に広がる赤い斑点は痛ましいほどに悪化する。痒みといえば、太宰治の「皮膚と心」だ。ある日突然、正体不明の吹き出物に襲われた主人公は痒みについて語る。痛みやくすぐったさは、そのうち苦しみのあまり昇天できても、痒みは気を失うこともできず、死ぬこともなく、永遠に苦しみ続けなければいけないのだと。そうして、吹き出物だけは事前に防ぐことができず、天意に依るもののようだという。

気丈にふるまう彩子の振る舞いは周囲に理解されにくい。明るく、馬鹿みたいな話しをして、それは痒みが痛みほど周囲に心配されにくいことと似ていて、素直につらい、悲しい振る舞いができる人と、そうでない彩子を象徴しているようだ。


ユーウェンは天栄村の写真を撮っている。撮った瞬間にその風景は過去になり、保存される。人は呼ばれたところに来て、必要がなくなると去っていく、と彼女は言う。観客がおよそ120分の間にみてきた馬鹿らしくも憎めない恋愛模様の数々は、王道映画のように明確な結末は描かれない。誰が幸せになったのかも定かではないし、それぞれの傷が癒えたのかどうかもわからない。

ユーウェンが交換留学生として訪れたこの天栄村。それはあの3.11で被害を受けて、その後も風評被害に苦しめられた土地だ。その場所に居合わせなかった人が彼らと同じ分量の痛みや苦しみを味わうことは不可能であるということを、悔しくもある一方で、仕方のないことだと了解せざるを得ない。しかしスクリーンいっぱいに広がる美しい田畑と、そこに生きる彼らの日常とそのドラマに過去の苦しみを微塵も感じさせない強さと、過ぎ行く時間を感じた。

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